ヨーロッパ旅日記(5) スペイン・グラナダ アルハンブラ宮殿
英語で"with awe"…。畏怖の念に打たれ、呼吸も一瞬止まりそうになるくらいの美しさのアルハンブラ宮殿。
13世紀から14世紀に建築されたアルハンブラ宮殿は複合施設で、東西720m、南北220mの区域に宮殿、君臣や官僚の住居、モスクや店舗、マドラサ、公共浴場などが含まれており、いくつもの泉を配した中庭が作られている。建物の壁や天井は美しアラベスク模様のタイルで覆い尽くされている。
アラベスク模様の内壁、外壁、天井、柱は、芸術そのもの。自然界の植物や星などをモチーフに、美的にそして、数学的に緻密で正確な計算されたデザインが施され、それが作り出す芸術です。これも全て、「神の創造」であるというのがイスラムの宗教観なのでしょうか。
グラナダでのお宿は、ホテル・アルハンブラ・パレス。グラナダで一番古いホテルとか。アルハンブラ宮殿入り口までは五分足らず、グラナダの市内にも歩いていけます。
1910年に創業。古さゆえ、気になるところもありますが、重厚な内装や家具は昔の面影が残りいい感じでした。
丘の上にあるホテルから見下ろす町の景色。
この地域、アンダルシア地方と言えば「白い家」
部屋の窓から
ロビー近く
アラベスク模様のタイルで覆い尽くされているトイレの壁は美しく、細長い窓からの景色は異国そのもの。。
アルハンブラ宮殿、王の公邸
内装は石、タイルや大理石のみならず組み木なども施されている。
「アッラーのみが勝利者」の理念が壁一面にアラビア語で描かれている。
「ムスリムにとって「カリグラフィー(書道)」は、「イデア」(真のリアリティ)と関係するなにかを表現することではなく、あらゆる芸術のうちのもっとも優れたものとされる「ことば(思考と歴史の伝達)」を可視化した表現である。」
ステンドグラスも、アラベスク文様
イスラムとアルハンブラ宮殿の歴史 (他のサイトからの引用)
「イスラーム勢力は8世紀初めの711年にアフリカ北西部からジブラルタル海峡をわたってイベリア半島に進出し,以後その大部分を支配下に置くようになったが,11世紀からはキリスト教勢力のレコンキスタ運動を受けてしだいに後退していき,そして13世紀の初めにラス・ナバス・デ・トロサの戦いでムワッヒド朝がキリスト教勢力連合に敗れると,8世紀の初めから800年近くにわたって続いたイスラーム勢力によるイベリア半島の支配は終焉したが,アルハンブラ宮殿はその後も改築を受けながらも残され,現在にまでその姿をしっかりととどめている。ヨーロッパ風の街並みの背後で静かにそびえるイスラーム様式の建築物の一群は,ヨーロッパとアフリカ,キリスト教世界とイスラーム世界を結び,さまざまな民族・宗教が訪れては去っていった,イベリア半島の歴史を我々に感じさせる。」
シエラ・ネバダ山脈から引かれた水は、敷地の高低差を生かして噴水となっています。イスラムの土木技術水準の高さを伺わせます。
ヘネラリーフェ(Generalife)とはアラビア語で「天の楽園」という意味です。ナスル朝の王達が夏をすごした離宮で、涼を得る為に、山からの水をたくみに取り入れた庭園は見事です。時期的に花は少なくなっていましたが、季節ごとに庭園内には数多くの種類の花が絶えることなく咲いているのがわかります。
空気の色が秋色でした
「グラナダ」はざくろを意味する。
赤いざくろ
赤いざくろ
こんな穴蔵を見つけると、入りたくなりますね。
花の盛りは過ぎていましたが、まだ、十分楽しむことができました。
グラナダ、とはスペイン語で「ざくろ」のことです。
アルハンブラ宮殿のいたるところに、何気に植えてあるざくろの木。
庭園から見える教会の塔がいかにもヨーロピアン
ちょっと一休み
キョウチクトウのトンネル
暑い夏でも、木陰が「涼」を感じさせます。
暑い夏でも、木陰が「涼」を感じさせます。
シエラ・ネバダ山脈から引かれた水は、ふつふつと脇流れる。計算され尽くした水路は当時の土木技術の水準の高さを表しています。
この門をくぐると。。
カルロス5世宮殿
イスラム建築に負けない建築をと、四角い建物に丸い中庭をもつ、イタリア・ルネサンス様式の宮殿は、16世紀
キリスト教徒によって建設されたもの。
しかし、建設中に皇帝が逝去。
皇帝はついにこの宮殿を訪れることはなく、
また建築も未完のままに終わっている。
。設計はイタリアのミケランジェロに師事したペドロ・マチューカが担当。
1日の終わりはやっぱり、可愛い猫たちと戯れて、癒されます。
明日はグラナダの街を散策します。
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