南米旅日記(10) 氷河の小道と最果ての地にある郵便局


南アメリカの氷河です。アルゼンチンからチリの南部を指す、パタゴニア地方の最南端にあるビーグル水道に来ています。ちなみに、このビーグル水道は、太平洋と大西洋を結んでいる水道で、アルゼンチンとチリに跨っています。































            "End of The World"「最果ての地」



氷河から海に落ちる滝






自然の神秘を感じます。









日が当たると水色に輝く氷河









地球温暖化の影響でどこでも、氷河がものすごいスピードで溶けている時代ですが、
少しでもこのような景色をみると安心する私です。(きっと数十年前よりも氷は少ないのでしょうけれども…。)














しかし、寒い! 夏だと思うと、なお寒い!
ビーグル水道は、年間を通じて水温が3~7度という海域です。しかし、冬だからと、極端に気温が下がることはなく、夏もあまり高温になることはありません。








南極からは約1000kmの位置にあるということを認知していなかったので、
寒さが特にこたえます。










































ビーグル水道沿いの最大の街、ウシュアイア Ushuaia に上陸です。ブエノスアイレスからは3200km、南極からは約1000kmの位置にあります。
ウシュアイアは「世界最南端の都市」と呼ばれ、南極行きの玄関口、又は周辺にある氷河や国立公園巡りの拠点として有名です。
 
 End of The World 最果ての地の入り口


まだ、薄暗く、街灯と後ろにそびえ立つ山々にしばし見惚れる。。




あまり町自体見所はありませんが、交通手段も少ないので、
こんなバスも一応走っていました。



えっと。。2月、今は夏です!







地元のおばさんが編んで売っていたアルパカの帽子と手袋を買いました。あまりの安さに嬉しいのですが、申し訳ない気持ちになり、
「グラシアス」、とチップはドルでほんのちょっと渡してきました。


んんん、あったかい。






Puerto Guaraniという湾には南米最南端の、最果ての郵便局があり、有料ですがパスポートに記念シールとハンコを押してくれます。生憎パスポートは持っていなかったので
ハンコも押してもらえず。
















私がせっせと拾ったのはひと握りの"sea glass"  シーグラス
誰が捨てたものなのか、どこから流れ着いたのか、
冷たいみずに揉まれ、すっかり角を落としたガラス瓶のかけら

シーグラスをお土産に
キッチンの窓辺に




風が強いので、木々も風に押されて、風に寄りかかって立っていました。





郵便局に入ると、みなさん、せっせとお手紙書き。
この日の、ここの消印が押されます。







 世界最果ての郵便局




世界中からきている観光客。みんなの出した手紙はもう届いたかなあ。。










こちらは、
パンアメリカンハイウェイの終点







  ティエラ・デル・フエゴ国立公園は、チリとアルゼンチンにまたがっています。
1940~50年代にアメリカの大規模支援により、南北アメリカを1本線で結ぶパンアメリカンハイウェイが造られ、ウシュアイアでは国道3号線となっています。その終点がここウシュアイアの「ラパタイア湾」、ということらしい。

とにかく世界の果てに行き着きたいという旅行者やドライバーやライダーたちはここを目指すのだと言います。

「ブエノスアイレスから3,079Km、アラスカまで17,848Km」

んん、距離感のない私には???






いまいち、お天気はよくなかったですが、あまりスカッと晴れることはないのだそうです。
なんとなく、最果て。。って感じですね。










この地はかって、先住民、裸族ヤマナ族が暮らしていたのだとか。土地に凹みがありそこに小屋を掛けて暮らしていました。貝塚なども発見されています。

その当時から、こうやってカゴなどを編んで使っていたのだそうです。
それは今も、受け継がれ、道端で売っていました。











ヤマナ族は普段は裸で、特別な行事の時にだけ、体を染色剤で色をつけ、おしゃれをしました。
一年を通して、寒い(裸では。。)地域であるにも関わらず、ヤマナ族は気候に適応し裸で生活していたのです。

寒いのになぜ、裸でいることができるのかはわかりませんが…。
人間は順応性があり、劣悪な気象条件の元であっても生きていけるのですね。


これは私がお土産に買った鍋敷き。












しかしその後、
ヤマナ族は絶えることになったのです。

それは、

この地にもヨーロッパから続々と人が、西洋文化が入ってきてからでした。
新しい文化と共に病気も入って来ました。
また、洋服を着るようになったことがきっかけだと言われています。


服を着ることを覚えた裸族ですが、衛生管理が行き届かず、服を洗濯するということも知らず、汚れた服を着続けたことにより、疫病が蔓延し、ヤマナ族は一人死に、二人死に、絶滅してしまったのです。




西洋人は良かれと思い、自分たちの文化や生活を紹介したのですが、結果として、
ヤマナ族は根絶えてしまったのです。






この最果ての寒い土地での先住民の暮らしに思いを馳せながら
水の辺りで
しばらく佇んできました。






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