ハワイの歴史を語るパラカ生地


昨年ハワイのお寺でのリサイクルセールで, 古着のアロハシャツを何枚も, ただ同然で買ったものがあったことに気がつき、ボタンを取り、切り刻みながら,
いろんなことを思い出しています。

昔、母も古着をといて、着物地を切っていたこと。
天気の良い日に、古い着物をほどき、洗い、板に丁寧に貼り付けるように乾かしていたことが思い出されました。それは、「洗い張り」と言ってました。





切り刻んだ古着のアロハシャツの中に、パラカ Palaka という生地のアロハシャツがありました。パラカは赤か紺地でプリント布ではなく、チェック柄の織り布です。





もともとは、プランテーションの労働者のための統一した作業服にと、英国から格子模様の厚めの綿布を輸入し、長袖のシャツを作ったのが始まりだということです。

そしてそれは、移民の日系人より、安く、改良され、縫製され、売られるようになりました。ハワイの日系一世は、祖国日本の浴衣地のイメージし、当初のパラカよりも薄い生地で作ったと言います。

赤と、紺色の格子模様がオリジナルですが、その後色々な色で作られるようになって行きました。

パラカはサトウキビのプランテーションの街だった、ワイパフのArakawa's というお店で作られ売られていました。
これは私も覚えていますからそう昔ではないですね。

この生地が可愛いと思い、Arakawa'sまで買いに行ったことがあります。
ついでに、少し逸れますが、アロハシャツですが、これは、1930年代、これまた日本人経営の Musashiya-Shoten (これもお店を覚えています)が今のアロハシャツを作り販売したお店です。



その後、パラカは作業服からお出かけ着、ハワイを代表するシャツとなって行きます。
今では、老舗のアロハシャツのお店などで時々見かけますが、すっかり影を潜めてしまいました。





さて、私は、ハワイでは老舗のものや、伝統的なパラカのアロハシャツなどを洗い張りはしませんでしたが、ボタンをとって、ほどき、新しい古布として使えるようにしました。







これで何を作ろうかな。。と思うと同時に、切りながら、これを着ていた人はどういう人だろう。。。




古いものを再利用することにより、
新しい命を、息吹を吹き込むのですから、心なしか嬉しいです。

リサイクルってこういうこと。。。

布だけではなく、これを身につけていた人を偲び、ありがとうと伝えたい。

切った布はいつもの缶の中に収められ、いつか、違うものとなることでしょう。



楽しみ♪





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